そして旅は続く(初めての一人旅、最終回)

皆さんこん〇〇は。

本日をもって今シリーズは終了です。


1972/12/XX 七尾機関区

拡大してじっくり目を凝らして見ると、SLが3輌、DD16と思しきDLが1輌。
そしてキハ26/52みたいなのが見えます。


Nanao022-1dpp.jpg
同日同所

普通ならテンダーしか見えない状態の汽罐車は撮影しませんが、
C56ばかりはその例外です。

さて、七尾線の旅はここで終わり。
この後、私は越美北線、尾小屋鉄道新小松、富山港線に寄り道し、
夜行で松本経由で塩尻へ向かいました。

Chuou039-1dpp.jpg
まだまだ165/169系が活躍していたころです。

Chuou038-1dpp.jpg
そしてこやつも。この2枚は初めてのバルブ撮影のようです。
バルブなんだから露出を絞れよ、というのは今でこそ言えること。
フィルム時代のバルブ撮影は私にとって鬼門でした。

塩尻から中央西線へ向かうのですが、それはまた別のお話で。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
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冬の海を入れて(初めての一人旅、その4)

皆さんこん〇〇は。

能登半島、七尾線とくれば海沿い区間があるだろうというのが普通の感覚ですね。
これがなかなかポイントを発見するのが難儀でした。


1972/12/XX 七尾線笠師保→能登中島能登中島→西岸

一つは、笠師保西岸の能登中島方にある小築堤。
(2017/12/20 koppel-2さんのご指摘により訂正しました)
辛うじて画面の奥に七尾湾を入れることができました。
(既出画で正面向きで白煙を吐いているのもあります)

Nanao049ps-1dpp.jpg
これは一枚目とは別の日。七尾線西岸→能登鹿島

コニカC35で撮影した画像です。
なお、その3でコニカC35のレンズを35mmと書きましたが、
これは間違いでHexagon 38mmだったようです。
広角を使って辛うじて海を入れました。

湾を挟んで反対側から鉄路を撮ろうと試みるのはこの翌年くらいからか。
まだまだ発展途上の撮り鉄でありました・・・。

本日はこのあたりで失礼します。次回へ続きます。

2カメ体制(初めての一人旅、その3)

皆さんこん〇〇は。

本日は当時の使用機材のお話と、その画像をアップします。


1972/12/XX 七尾線能登中島→西岸

Nikomat FTN + Nikkor 135mm f3.5

1台はNikomat FTN。これは中学3年生のときに父親にねだって買ってもらいました。
最初のレンズはNikkor 50mm f1.2。
父親は自分自身がカメラ好きで、後述するKonika C35や、姉にフジペットを買い与えたり、
当時評判だったカメラをいくつか購入していました。
ニコマートもおそらく父親の好みに合致したのだと思います。
(父親は大正生まれの寡黙な男で、あまり多くを語りませんでした)

中学3年生当時、クラスでは1眼レフカメラの一大ブームが起こり、
ニコン派、キャノン派、ペンタックス派、そしてミノルタ派もいました。
ちなみに鉄道撮影屋の中ではニコン派が最大勢力だったと思います。

そして、能登半島行きの直前に、Nikkor 135mm f3.5を買ってもらいました。
このとき、初めて望遠レンズ、しかもレンズ交換ということを行ったわけです。

ちなみに、もう1台、旅のお供として、コニカC35というバッテリー式内蔵露出計かつSS連動の
レンジファインダーカメラを父親から借りて持っていきました。
つまり、カメラ2台体制で、単焦点ながら35mm, 50mm, 135mmという画角選択肢を持ったわけです。

Nanao036-1dpp.jpg
同日同所(同じ列車)

コニカC35(ネオパンSS使用)

コニカC35の画像はほとんど散逸しており、辛うじて発見しました。
ただ、このカメラは順光の光量に恵まれた状況で、風景・人物に力を発揮しますが、
このときの曇天かつ動体撮影(しかもヘッドライト点灯)では細部表現には酷だったようです。

とはいえ、荒涼とした枯野を向かってくる汽罐車をそれなりに(トイカメラ的に)表現してくれました。

それでは本日はこのあたりで。次回に続きます。

ある出会い(初めての一人旅、その2)

皆さんこん〇〇は。

昨日アップ写真はいずれも既出画か前後コマでした。
本日からは初掲出になります。


1972/12/XX 七尾線能登中島

能登中島で出会った同年配の撮影者。
どうも話していると、彼も同学年のようでした。
あやふやな記憶では、彼は名古屋か岐阜界隈からの訪問だったか・・・
私はジャンパーとジーパンだったと思うのですが、彼の格好は垢ぬけてましたね。
ここで別れて、その後は撮影場所で出会うことはありませんでした。

Nanao011-1dpp.jpg
同日同所

その彼と肩を並べて撮ったのが、こちらの一枚。

Nanao031-1dpp.jpg
同日同所

特徴ある形式プレート(赤ナンバー)をどアップ。
この後、私は西岸方のカーブ築堤に向かって歩き出しました。
彼はどこに向かったのか・・・思い出せません。

C56123は映画「父ちゃんのポーが聞こえる」(父ちゃんは小林桂樹扮する機関士、
そして難病に侵された娘を吉沢京子が演じていました)にC58140とともに登場しました。
皮肉なことに、映画の中でも踏切事故に遭遇しますが、現実にも1973/1に踏切事故に
遭遇し、本線復帰することなくそのまま休車・廃車となってしまいました。

最後に雄姿を撮影できて幸いであったと思います。

さて、この続きは次回へ・・・

初めての一人旅

皆さんこん〇〇は。

本日からしばらくは約45年前への旅にお付き合い願います。


1972/12/XX 七尾線笠師保→能登中島

「ここに1本の線路がある。それは過去に連なる線路。」
「時計を廻そう。さかさまに・・・」
この二つの言葉。痺れますねえ。
前者は「陸蒸気からひかりまで」の背表紙裏、つまり巻頭言のところに登場します。
後者は同じくこの本の、1ページ目の出だし。

小学校4年生で、当時の鉄道博物館(万世橋にあった)に初めて訪問して、
父親に買ってもらった「陸蒸気からひかりまで」。

その本の最初に登場する赤井哲朗さんのテキスト。
そして片野正巳さんの細密ペン画。

これが私の鉄道趣味のスタートでした。

そして、廣田尚敬さんの「四季のSL」。
1ページ目からスワローエンぜルが飛翔しまくる写真集。
中学生には目の毒でした。

そのような、イメージばかりが先行した私が初めて一人旅をした場所。
それが1972年12月の七尾線でした。

なにもかもが不思議な、ちょっぴり恐ろしい、しかし魅力に溢れた遠い世界。

Nanao030-1dpp.jpg
1972/12/XX 七尾線能登中島

そこに現れたこの汽罐車。
おとぎ話だったSLが、小学生いや幼稚園児のころからすぐ隣にいた汽罐車。
それが今、カメラを構えた私の目の前にやってきた。

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プロフィール

マイオさん

Author:マイオさん
「マイ・オールド・スティーマーズ」は
長すぎるということで、略して
「マイオ」となりました。
中学・高校は現役蒸気を追い、
蒸気全廃とともに鉄道趣味から引退。
30数年を経て突如復活。
ブログも9年目に突入し、そろそろマンネリ化か?
更新頻度が激減中で、ネタも尽きて
いよいよ終了間近かも。
これは見逃せないというべきか、
単にアホらしいというべきか。

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