初めての一人旅

皆さんこん〇〇は。

本日からしばらくは約45年前への旅にお付き合い願います。


1972/12/XX 七尾線笠師保→能登中島

「ここに1本の線路がある。それは過去に連なる線路。」
「時計を廻そう。さかさまに・・・」
この二つの言葉。痺れますねえ。
前者は「陸蒸気からひかりまで」の背表紙裏、つまり巻頭言のところに登場します。
後者は同じくこの本の、1ページ目の出だし。

小学校4年生で、当時の鉄道博物館(万世橋にあった)に初めて訪問して、
父親に買ってもらった「陸蒸気からひかりまで」。

その本の最初に登場する赤井哲朗さんのテキスト。
そして片野正巳さんの細密ペン画。

これが私の鉄道趣味のスタートでした。

そして、廣田尚敬さんの「四季のSL」。
1ページ目からスワローエンぜルが飛翔しまくる写真集。
中学生には目の毒でした。

そのような、イメージばかりが先行した私が初めて一人旅をした場所。
それが1972年12月の七尾線でした。

なにもかもが不思議な、ちょっぴり恐ろしい、しかし魅力に溢れた遠い世界。

Nanao030-1dpp.jpg
1972/12/XX 七尾線能登中島

そこに現れたこの汽罐車。
おとぎ話だったSLが、小学生いや幼稚園児のころからすぐ隣にいた汽罐車。
それが今、カメラを構えた私の目の前にやってきた。



あまり回顧趣味にばかり走るのはよろしくない・・・なのですが、
これはいわば旅の始まりになった記録でありまして。
今日でも旅は続いておりますが、そのスタートはこうだったという、
だから今があり、そしてこれからに繋がってゆくのであります。
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狂電関人さん

コメントいただきありがとうございます。

貴兄のブログ、そして楓ちゃんのブログを拝見すると、
一段と煙に恵まれたやまぐち撮影行だったようで、かなり羨望の眼差し
となっております。

1972年はこれに先立って、春休みと夏休みに九州、秋には小海・飯山・中央西線に
出かけておりますが、いずれもどこかで同級生と合流しており、その意味で
一人旅といえるのはこのときが初めてでした。

旅のお供となったのは、Nikomat FTNとコニカC35(レンジファインダーフィルムカメラ、
バッテリー式内蔵露出計で露出とSSをカメラが決定)でした。
後者については、また改めて当時の画像とともにご紹介しますね。(ただし現物はありません)

1972年

マイオさま

こん○○は。
38年ぶりの山口線で煙に塗れて来ました~♪

1972年というと、電関人がトイカメラ(一応110サイズのフィルム装填式)を買い与えられて
初めて線路端に立った年です!
電関人の鉄趣味の発端は、結構コジャレていまして休日の父親に散歩がてら手を引かれて鹿児島本線の
線路端で見た下りの東京ブルトレ達でして、20系を牽いて来るC59、C61に鮮烈なインパクトを受けたのでした。
結局、年齢的に筑豊のキューロクくらいしかマイカメラに収めることは有りませんでしたが、以来「急客機」という
表現に憧れ続けているのであります。。。

ぜっきあいずさん

コメントいただきありがとうございます。

実は、今回のシリーズは「おまけ大会」最終回からの続きという伏線も
張ってみたのですが、これは分かりにくかったですね。

いやいや、回顧もまた一つのテーマであるのはその通りです。
自分を見失わない回顧は立派なものです。
ただ、自戒として、なるべく次に繋がる、あるいは前向きな方向にしたい、
ということがありまして。

余韻のプロローグ

お付き合いしますとも。
少々耳が痛いですが、回顧趣味にばかり走っている身としては、もちろん!

それにしても、初めての一人旅が 七尾線とは渋いですね。
珍しく力行して笠師保側から下ってくる、余韻の残る画から始まったプロローグ、
本編に期待大です。
プロフィール

マイオさん

Author:マイオさん
「マイ・オールド・スティーマーズ」は
長すぎるということで、略して
「マイオ」となりました。
中学・高校は現役蒸気を追い、
蒸気全廃とともに鉄道趣味から引退。
30数年を経て突如復活。
ブログも9年目に突入し、そろそろマンネリ化か?
更新頻度が激減中で、ネタも尽きて
いよいよ終了間近かも。
これは見逃せないというべきか、
単にアホらしいというべきか。

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