日向沓掛、1973/12

皆さんこん○○は。

昔のネガを漁っていたら、こんなのも見つけました。

KyuushuuDec1973120-1dpp.jpg
1973/12/XX 清武→日向沓掛 1591レ C57186牽引

これも元ネガは露出絞りすぎで黒ツブレしていました。
この場所は、日向沓掛駅の清武方すぐで、カマの左上に
場内信号が覗いています。

「国鉄時代」No.46「客車急行」P40に、奥井伴彦さんの日南3号
特集が掲載されており、井門憲俊さん撮影の日南3号の沓掛進入
場面が登場します。
そちらと立ち位置はほぼ同じ。ただ、憲俊さん撮影の写真は3月で
日南3号の時刻ですのでギラリ、かつ沓掛駅には交換DCが待ち構える構図。
私のは、12月の1591レであいにくギラリとはならず、交換DCもおらず。

KyuushuuDec1973110-1dpp.jpg
同日同所

後追いから先に掲出しましたが、狙っていたのはこちら。
沓掛駅手前の逆S字カーブを白煙を吐いてくねくねやってくる姿でした。

なんでアップしたのかというと、おそらくこの画面奥あたりに現在は高速道路の
清武JCTが出来ていると思われるからです。(現在の地図はこちら

私は回顧主義に走らないように心掛けているのですが、それでもかつて旅した
青春時代の足跡を訪ねたい思いはあります。昨年の飯山線がそうでしたし、
只見線もそうです。飯山線平滝の変化はある意味当然と考えました。

鉄路そのものが消えてしまった、あるいは消えつつある北海道の路線には愕然と
なりますが(現在の地図ではもはや撮影場所が辿れない)、一方で鉄路は残って
いるものの、電化や高速道路の建設などで景観が大きく変わった日向沓掛界隈も
果たして再訪することがあるだろうか、と自問自答する日々であります。

ある思い出

皆さんこん○○は。

「日向沓掛、1973/3」に書きましたが、これは実際には同じ年の12月、
冬至近辺のことです。1973/3と12月で大きく違ったのは、後者のときには
日南3号がC57牽引になっていたことでした。

12月の陽が短い季節で、しかし日南3号という午後4時少し前に宮崎を発車するスジを
どこでどう捉えるか・・・
門石ではかなり賭けの要素が大きく(よほど晴れていないと線路は暗くなってしまう)
安全策を取るなら清武・沓掛間がベスト。大淀川でも間違いないですが、それでは
面白くない。
こうして、それまで訪問していなかった清武・沓掛のロケハンを開始しました。

日南3号を撮影すると、張り詰めた気持ちが緩んで、その後のスジである1527レ、
さらにその後の569レをどうするか、というとあまり気合が入らなくなっていました。

1527レはf1.4開放で撮影したものの、手ごたえとしてはギリギリの明るさでしたので、
569レは走行写真ではなく、駅撮りに切り替えました。


1973/12/XX 日豊本線日向沓掛駅にて 569レ C57169牽引

この画を撮影後に、乗務員さんに田野まで録音したいのでキャブにマイクを
置かせていただけないかお願いしました。
(ここからはすでに43年前で時効だと思います)
答えは、「マイクだけじゃ、俺らがスイッチなんか入れらんねぇ。
だからお前も一緒に乗れや。だけど、キャブは狭いから、隅っこで小さくなってろよ」

うわ~!!!やったぁ!
生まれて初めてのカマのキャブ添乗。
しかも、サミットがある沓掛・田野ですかぁ。

もちろん、日向沓掛の発車から田野到着までカセットテープに録音しました。
乗務員さんの声もばっちり。
しかし、あの大事なカセットテープは現在では行方不明です・・・

KyuushuuDec1973295-1dpp.jpg
田野に到着して慌てて一枚撮影しましたが、残念ながらこんな出来でした。

ただし、沓掛から田野までの一駅の旅は忘れません。

日向沓掛、1973/3

皆さんこん○○は。

「新潟鉄道記」の管理人さんが、日向沓掛の素晴らしい一枚をアップされて
いますので、私もほぼ同じ場所で撮影したダメな一枚をアップいたします。


1973/3/XX 日豊本線日向沓掛→田野 C5765牽引1527レ

元ネガは露出オーバーで真っ黒ツブレ状態。
長年眠っていたネガを掘り起こしましたが、やはり見苦しい状態ですね。

KyuushuuMar1973135-1dpp.jpg
この列車の次にC5552牽引の上り貨物列車が登場しました。
その後追い写真です。

KyuushuuDec1973293-1dpp.jpg
1973/12/XX C57187牽引1527レ

同じ年の冬至近くのほぼ同じ場所です。
f1.4開放だと思いますが、それでも動体ブレしてしまいました。

これだけ暗いと、この次の列車は撮る気がなくなっていて・・・
実は沓掛駅に戻って、その貨物列車の牽引機C57169のキャブ脇に
じっとしていたら、親切な乗務員さんが田野まで添乗させてくれたのでした!
すっかり忘れてました。ボケてますねぇ。

KyuushuuMar1973140-1dpp.jpg
1973/3/XX C57115牽引569レ

再び3月に戻り、場所を田野寄りにさらに移動していました。
これが1527レの後に登場する下り貨物列車でしたね。
ようやく思い出しました。梨五郎さん、失礼いたしました。

D511151〔延〕

皆さんこん○○は。

新潟鉄道記の管理人さんが、D511151の思い出を語っておられるので、
私もコラボさせていただくことにしました。

私の場合は、矢岳越えを訪問しようとした昭和47年夏に、
水害で真幸駅が流されてしまい、それどころではなくなり、
結局矢岳越えはそのまま無煙化されてしまいました。

昭和48年3月に南延岡機関区を訪問した際にD511151を
撮影することができました。

KyuushuuMar1973112-1dpp.jpg
砲金製の区名板でした。

KyuushuuMar1973122-1dpp2.jpg

大型集煙装置がなくなり、おとなしい風貌になりました。

KyuushuuMar1973123-1dpp2.jpg

同じ南延岡所属のD51714。こちらは区名板はペンキ書きのようでした。

KyuushuuMar1973127-1dpp2.jpg

発車してゆくD511151。このときは、これで見納めとなりましたが、
同年12月に宗太郎越えでもう一度撮影する機会がありました。

縦煙

皆さんこん○○は。

そろそろ現役画から一枚アップいたします。


1973/12/XX 日豊本線青井岳

こちらの前後コマを以前にアップしたかも知れません。
今回はLR5でレタッチしたものです。

今でも不思議に思うのですが、青井岳のサミットはこちら側ではなく、
下りの楠ヶ丘方にあったはずです。上りの門石方は下り込みだったはず。
事実、橋梁で撮影した写真を見るとほとんど絶気状態になっていました。

とすると、下り込みの発車でこの縦煙はなぜ?
乗務員さんにお願いした仲間がいたのか・・・
あるいは何人か高校生が待ち構えているのを見て、
サービスしてくださったのか・・・
現役末期にもこんなことがあったのです。
プロフィール

マイオさん

Author:マイオさん
「マイ・オールド・スティーマーズ」は
長すぎるということで、略して
「マイオ」となりました。
中学・高校は現役蒸気を追い、
蒸気全廃とともに鉄道趣味から引退。
30数年を経て突如復活。
ブログも8年目に突入し、そろそろマンネリ化か?
更新頻度が激減中で、ネタも尽きて
いよいよ終了間近かも。
これは見逃せないというべきか、
単にアホらしいというべきか。

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